小説アーカイブ『ステップ』(寝惚なまこ)

   暑く湿った空気が呼吸するたびに肺に絡まりつくような六月の中旬、Tシャツは長袖のものを選んで着てきたのだが、肌寒さに時々肩が縮こまる。普段は後ろに流している髪を今日は結っているので、外気に曝される首筋が余計に寒い。鳥肌が立っている腕を水色の、薄い綿百パーセントの生地の上から撫でさすりながら、私は薄暗い森の中を、好き勝手に生えている雑草たちを踏み分けて進んでいた。背負ってきていたリュックサックにはロープやナイフといったアウトドア用品は入っていたが、防寒具の類は一切なくて、優先順位を間違えた私を森の冷たい呼吸が苛む。頭上を覆う木の葉は曇りの日の灰色に染まった分厚い雲のような圧迫感で、その隙間から零れる日の光はか細く、頼りなく、しとしとと肩を濡らす春雨のように降っていた。本当に濡れているわけでもないのに、光の雫ひとつひとつが肩を叩くたびに肌が粟立ち、それは波紋のように全身に広がっていく。
  草木の、植物の匂いが濃く立ち込めていて、こんなところに一時間もいたら服に匂いが染み付いてしまいそうだ。もっとも私はこの空気が、時々吹く弱々しい風に乗る、湿った、甘い匂いが好きだから、そんなことを憂う必要もないのだった。今日この森に分け入ったのも、半分くらいは、この空気に包まれて一人穏やかな時間を過ごしたいと思ったからだ。
  歩いていると少しずつ足が重くなってきているのに気付く。踏みしめるとき、さっきよりも深く地面に足がめり込んでいき、やわらかい土に足跡がくっきりと付く。このあたりから傾斜が始まっているのだ。今私が少しばかり本格的な登山に挑戦しようとしていることを改めて自覚し、もう少し先延ばしにすればよかったかと、爪楊枝の先に乗るほどの後悔が胸の片隅に埃のように積もる。それを吹きさらうように、少し強めの風が吹いた。ついでに括った髪が揺れ、露わになっている首が冷たい。ネックウォーマーを持ってくるべきだったと思うが、六月にそんなもの普通は使わないから押入れの奥のほうに仕舞ってあるし、そもそもこの寒さは予想していなかった。せめて本格的に踏み入る前に下見をしておくべきだったのかもしれない。
  今ならまだ引き返せる。目的の場所はこの山、といっても大したことはない、二時間あれば頂上まで行って戻ってこれるくらいの小さな山だが、その六合目あたりなのだ。私はまだ裾野に差し掛かったばかりで、ここまで来たらやるしかない、という切迫感にせっつかれてもいないのだ。だから今回を下見ということにして、また日を改めて、今度は厚手のセーターを着てネックウォーマーを持って、この山に来ればいい。
  引き返せる。その選択肢が目の前にぶら下がることで、却って気が引き締まる。今ここで歩みを止めて、来たばかりの道を引き返して家に帰れたら、山道を進む肉体的な疲労から逃れられたら、それはどんなにか楽だろう。それでも私が止まらないのは、今日という日を逃せばもう二度とこの山に来ることはないだろうということが分かっているからだ。大事な休日を、家に引きこもってお気に入りの歌手のCDをかけながらマンガを読み、コーヒーを飲んでいるだけで浪費してしまうような典型的無気力人間である私に、かねてから思い描いていたとはいえ、リュックサックを背負って登山をする気力の湧く日が来ようとは。青天の霹靂とはこのことであり、こんな珍事は私のように平凡に属する側の人間の前にはそうそう転がり込んでくるものではない。
  もしも、と今踵を返して家に帰り普段通り、時間を咀嚼し飲み下して何も排泄しない生活に再び戻る私を想像してみる。ザリガニの住んでいるような生臭くて汚い川を流れていく、空になったコンビニの袋みたいに、頽廃した空気に流されながら、醜く腐って自分以外の何かに変質していく、そんなやりきれないもう一つの未来が、陽を透かした葉っぱの緑のような鮮やかさで目の前に浮かぶ。額から流れ落ちて視界を滲ませる汗がそれを掻き消すのを待ちきれない私は、歩くペースを一定に保ちながらずんずんと進んでいく。山道を登り始めてから三十分ほどが経ったころには、全身が汗だくで、薄くても無いよりはましと思っていたTシャツもべったりと背中に張り付いて気持ち悪い。どうせこんな森の中に踏み入る人間なんていない――少なくとも私のような変わり者以外には――のだから、脱ぎ去ってしまっても構わないとシャツの裾に手を掛けるが、恥じらいとはまた別の、より後天的な私の一部分がそれを戒める。人間社会から遠く離れたはずなのに、いまだに私はその慣習の奴隷だった。曰く、外出するときには衣服を着用していなければならない、例外は海とプールと公衆浴場だけだ。あと売春宿。 ああでも、売春はそもそも違法行為だから勘定に入れるべきじゃないのだろうか。ではソープランドはどちらだろう。何にせよ、無造作に生えている雑草やがっしりとした木々をかき分けた先で、 服を脱ぎ捨て丸裸になるのは人間としての正常な営みから逸脱した振る舞いだ、ということを自分の中で確かめられれば良かったのだ。余計なことは思い出さなくていい。休日に、遊びに行くと言う父の後をこっそりと、ちょっとした探偵気分でつけていった時のことなんて。繁華街の奥まったところにひっそりと建つ、しみったれた外装と、道路に面した壁に貼り付けられた看板の煌びやかさがちぐはぐな印象を与えるビルの中に入っていく父の背中なんて。そこに漂っていたのは、アクリル絵の具で下手くそな風景画を描いた後に使ったパレットを洗い流した水が排水口に吸い込まれていくような力のなさ、自分の使命を果たしたのちの虚脱感だったろうか。

 でもそんなことはどうでもよかった。父が母と共に私という子を生し、その細胞の一部は私の体の中で今も分裂を繰り返しているのだという事実に、寒気が踵から項まで駆け上がり、内から膨れ上がるような熱さに汗の滴るほどだった体が少しだけ落ち着く。そしてその代償として、腹の奥に産み落とされたむかつきの卵。そいつが孵化してはらわたを食い破る前に、殺虫剤一リットルを口から流し込むか、宿主を屠るか。私は当然楽な方を、つまり後者を選ぶ。そうすれば、私の内臓という巣から這い出た蟻に体のあちこちを食い破られて苦しむこともない。私は、畢竟他人に舌を這わされ歯を突き立てられ咀嚼され嚥下され胃の中で消化されるのを嫌って、自分の指を喉に差し入れ飲み込もうとする、倒錯の生きた見本だった。
  人間というのは、禁断の果実を齧ったご先祖様のせいで、暖かくて平和で煩悶という言葉とは無縁の楽園を追われ、要らぬことをあれこれと考える苦役を背負うことを宿命づけられている。地上を這いずる私たちの肩に、背中に、腰にそれは深く食い込み、ごつごつしたアスファルトでも舐めながら、生きる意味なんて益体もない命題を解いて見せろとせせら笑う。私がたどり着いた解、それが倒錯だった。醜態を晒して、かわいそうな人だと憐れみを集めることが、私の生きる意味。それを体現するためにこうして山を登っていた。
  だんだんと傾斜が緩くなってきていた。歩幅を少しだけ狭めて、三半規管に意識を集中させて、完全に平らな場所を探しながら進んでいく。この辺でいいだろうと足を止めたところに、他と比べても一回り幹の太い木がおあつらえ向きに立っていた。枝に手を伸ばしてぶら下がってみると、硬くざらついた樹皮が手のひらに食い込み、そこに熱が集まっていくような感覚があったが、木の方は素知らぬ顔でびくともしない。強度も申し分ないようだった。
  一度地面に降りて、背負っていたリュックからロープを取り出し、ナイフでちょうどいい長さに切ってしまう。長すぎても短すぎても使い物にならないが、家で予行演習をした成果は十分に発揮された。あらかじめインターネットで調べてあった通りに輪っかを作り、もう一方の端を投げて、先ほどぶら下がったのよりもいくらか高いところに出ている木の枝に引っ掛ける。地上二メートル弱のところに輪っかが来たので成功だ。あとは踏み台の上に立ってそこに頭を入れて踏み台を蹴ってミッションコンプリート、と頭の中に描いた完璧な工程には不可欠な、踏み台という立役者が目の前の現実には欠落していることに気付いた。
  不法投棄は犯罪だが、粗大ごみを正当な方法で処分するのはお金がかかるから後を絶たない。私は人間の吝嗇さに一縷の望みを掛けながら、ある程度強度と高さと安定性のある、踏み台の代替品を探しながら森の中を彷徨う。
  長いこと坂道を歩いたために、酷使した足にはふわふわとした、雲の上を歩くような感触が付きまとう。そうして体感で五十メートルほど歩いたところで、きょろきょろとせわしなく動く視界が、錆と泥で汚れた小さめの、持ち運びを考慮した種類の脚立が転がっているのを、そして次に、そのすぐそばにいる何者かの影を、とらえた。驚きに肩が跳ねる。脈拍はその速さを増す。
  ボロボロのジーパンに暗い緑色のパーカーを着たその男の人は、三十センチほど地面から浮いていたから最初は幽霊かとぎょっとしたが、よく観察すれば何のことはない、ちゃんと肉体を持っている、人生の先輩だった。首から生えた、私の持ってきたのとは違って黄色いロープが、傍らに生える木の枝の根元あたりに括り付けてあるのが見える。背を向けているそれがどんな顔をしているのか、それはそのまま未来の私の表情でもあるから気になって、私は正面に回り込んだ。


「今度の日曜日、車出してくれない? 買い物行
きたいんだけど」
「日曜、日曜かぁ。悪いけど、日曜は大事な用があるんだよ。しかし珍しいな、お前がそんなこと言うなんて」
「いいでしょう、偶には三人で、お母さんも誘って買い物に行くくらい? 大事な用って何、お母さんよりも大事なものって?」

「そうは言ってもなぁ」
困惑しているのか、迷惑がっているのか、ある
いは両方か、そんな表情を滲ませた父に詰め寄る。私だってできることならこんな台詞は口にしたくなかったのだが、悠長に構えて手段を講じられるような落ち着きはすでになかった。登山をしてへとへとになって家に帰ってきた次の日の朝。私と違ってトーストを食べずに、コーヒーだけを飲んでいる父を捉まえて頼み込んだ。私はこの夏の流行がどうだとか、母が最近元気がないから楽しい休日を提供したいとか、自分でも本気で思っているのかいないのか判然としないことを、父を説き伏せるための材料として利用し、捲し立てた。
「分かったよ。そうだな、お前と母さんのためだもんな。父さんの用事は、まあ来週にでもなんとかするさ」
  五分か十分か、繰り広げられた押し問答の末にようやく父は折れたのだった。私は、ありがとう、と言いながら笑顔を作ってみせた。鏡の前で何度も繰り返した練習の成果、十七年という決して短くはない時間の積み重ねが生んだ一種の芸術、これにはそこそこ自信があるから、返礼として申し分ないだろう。
  結局、私は死ねなかった。あの先客の顔を見てしまった私は、荷物も森の中に忘れて逃げ帰ってしまった。そしてこれは昨日も思ったことだが、私は二度と、あの街のはずれにそびえる山に足を踏み入れるどころか、近づくことさえもしないだろう。自殺の名所として知られるあの場所に、自殺のできない私は近づく理由を持たない。人生の終着点に、いや、そこにたどり着く前の途中下車という選択肢に恐怖することを知ってしまった私の目には、自殺の名所たるあの山は暗澹とした雰囲気をまとう、隆起した土と植物の塊として映る。草木の香りを嗅ぐのが好きな私は、これから野草園にでも通うことになるのだろう。
  死ねないのなら、なんとか現実と反りを合わせるしかない。あるいは現実を掘削して、ひと一人がなんとか起居できるくらいの場所を確保するか。私は誰も殺さずに、自分自身も殺めぬように、父と共生していかなければならない。そのためにまずは、風俗通いから足を洗ってもらわなくては。ソープランドから父を、私とお母さんのいる家に取り戻すために、私とお父さんとお母さんが再び家族になれるように、目を細め、笑窪を作る。
  今日はよく晴れた、気持ちのいい一日になりそうだと、テレビの向こうに立つ気象予報士が言っていた。身支度を終えて家を出ると、ぎらりと攻撃的な太陽の光が半袖の制服から伸びた腕を焼いた。茹るような、燃え盛るような夏は、すぐそこまで来ていた。

 

 

※この文章は過去に他の媒体に寄稿したものに修正を加えたものです。