万引き家族を見た話

これは白黒つけちゃいけない話だと思った

 

忌避していたのは、格差社会がどうとか、国の汚点を美化するなとかで盛り上がっていた気がしたから

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万引き家族(2018)

お久しぶりです。生存確認です。私はここにいます。多分。

 

ステイホームの流れに乗っ取り大手を振って家にいる今日この頃。普段は雨の日くらいしか家にいることに理由を見いだせないけれど、今は罪悪感無く部屋でゴロゴロできていいですね。貢献だからね、社会への、この引きこもりは。

 

さて本筋。の前にいつものあらすじ

 

東京の真ん中にぽつんとたつあばら屋。そこに暮らす6人の人たち。樹木希林の年金に寄生して、万引きで生計を立てるいびつな家族。ある2月の寒い夜、ネグレクトを受け、ベランダに薄着で放置されていた女の子を保護したところから、彼らの運命はちょっと、それが明るいのか暗いのかは分からないけれど、でも確実に動き出す。

 

血のつながりは多分無くて、一緒にいる理由は「一緒にいるから」という些細なもの。だからそれを他人が否定することは出来なくて。そこにいる人にしか共有できない価値が確かにあったのに、だけどそれは端から見れば何もない。

 

公開当初、というか話題になってた当時はスルーしてました。なんでだろう、そもそも邦画を好んでみないからな……。それはともかく、いろいろな賛否両論の声をなんとなく聞いていて、だからこの作品は「日本の格差社会を浮き彫りにした、風刺作品」と思っていた。

 

貧富の差というより、それを前提とした無自覚な残酷さ

たぶん「世界にはこんなに貧しい人がいて、こんなに歪な世界が広がってますよ!」という話では決してなくて、「ここ以外にも社会はあって、その社会にはその人たちにしか分からない価値がある」というの方が大事だと思った。

 

きっとそれは常識的に見れば異端で、多数の意見とか、正義とかを振りかざされちゃえばすぐに脆く崩れるようなものなのだろうけれど、その中で生きる人たちにとっては全てといってもいいくらいかけがえのないもので、その価値観を奪ったり、壊したりすることは、罪じゃないかもしれないけれど、酷く残酷なことだと思う。

 

常識やルールや倫理観が、秩序を守るために作られたことっていうのは忘れてはいけない。それらは大多数の人の幸せや、一部のお金持ちの人たちの都合や、お金の流れをスムーズにするために生まれたものであって、レールから外れた人たちを守るものでは決してない。善かれと思って価値観を押しつけるのは、じゃあ、その人を殺すのと何が違うのか。

 

児童福祉施設の人が子供を保護するのは良いと思うんだ。仕事だから。だけど鬼の首を取ったように誰かを責め上げるのは違うと思うんだ。だって、もしかしたら鬼は自分だったかもしれないんだから。

 

共感性の問題として、視聴者の多くはリリーフランキーたちに感情移入して、公務員に不快感を覚える作りになっていると思う。物語もハッピーエンドとは言えなくて、どちらかと言えば消化不良を抱えて唖然とするような幕引き。この構成こそが、一番考えなくちゃいけないところなのかな、と。

 

すぱっと終わる話じゃない。白黒をつければいい話じゃない。誰が良いとか悪いとか、何が駄目だったとか、正義とか悪とかそういうことではなく。

 

今の世の中と照らし合わせるなら、「自分がどちらの立場にもなり得る可能性を忘れるな」

 

責める方にも責められる方にも、常識を破らなければ生きていけない立場にも常識を振りかざす立場にも、私たちはどちらにもなり得る。だからこそ、一時の情に任せて排他的な行動をしてはいけない。いざ自分が、それまで他でもない自分が嫌悪感を浴びせ、忌み嫌い、吐き捨ててきた側に立たされたら? そこで自分を守れるのか、それとも手のひらを返すのか、誰かに守ってもらえるのか、救いを求められるのか。

 

笑っていられるのか。そう思うわけです。

 

あなたが声を上げて火刑にしたように、いつかあなたも矢面に立たされる。今抱いた感情を忘れちゃいけない。

 

これはよその国の話じゃない。明日来るかもしれない、自分の物語だ。

 

文責:日笠

(しかし制服の松岡茉優ちゃんかわいすぎない? 通うんだが? だが?)