野方の方〜1軒目〜都民割と早く寝る

夜明け前が最も昏い

 

そんなわけないだろと思っていた。

 

しょせん体育会系の戯言で、結果が出る前が一番辛いから頑張れなんていう世迷言で、感受性のフィルターがストラックアウト方式の意識高い系が好きそうな綺麗事だと。

 

地平線のすぐ向こうに太陽が控えていて、夜明け前のいわゆる未明とは空が白む頃。指の先も見えないような暗闇ではなく、ほんのりと霧がかかる、曇りの日よりも爽やかで静かで終わりと始まりが混ざった時分。それが夜明け前。月のない朔の夜ならいざ知らず、そこまでお日様が来てるのに最も暗いわけはないだろうと、思っていた。

 

話は逆だ。

 

明るいのだ、夜は。

 

煌々とネオンが煌めき、車のヘッドライトが交錯する新宿の街。今日はこれからと言わんばかりに肩で道路を渡る仕事帰りの人。太陽は地球の反対側にいるはずなのに昼と紛うほどに夜道は明るく、星が見えないという点では昼空と変わりない。それが都会の夜。江戸時代ならいざ知らず、文明の光溢れる現代社会は夜も眠らず、太陽にかわって世界を照らす。

 

だけど、それもずっとじゃない。

 

夜が更け、人が去り、東の方から夜の暗幕が引かれ始めた頃、街は眠りだす。街灯が用をなくしひとつ、またひとつと消えていく。店が閉まり、喧騒もいつしか誰かの寝息にとって変わる。鳥だけが朝の到来を告げている。

 

町から人が消える時間帯、店の明かりが消えたーー夜明け前が一番昏い。

 

東京都は新宿のスグ近く、野方に引っ越してきて早一ヶ月。仕事が終わり、自転車を走らせれば9時前には家に着く。

 

知らない町の夜は一長一短だ。比喩ではなく、退屈を持て余してすぐ床に就くか、足りない何かを求めさまよい、結局一夜を棒に振るか。楽しい時間はあっという間、というのは遠い昔。落ち着ける場所が部屋の片隅しかない今は、なんとなく商店街をフラついて、収穫もなく帰宅して、翌朝の仕事に思いふけって眠るだけ。

 

この町にとって私はまだ客人で、歓迎の笑顔の裏には「できれば早く帰って欲しい」という腹黒さがちらほらと見え隠れする。いつお茶漬けを出されてもおかしくない状態。すでにどっぷりつかっているのかもしれない。先週3軒連続で「もう閉めるんで〜」と言われたときは心が折れた。まだ10時だぞ。小池百合子め……

 

寄る辺なく、所在なく。ふらりと立ち寄れる場所があればいいのにとうろちょろすること毎晩。もう24時間営業の牛丼屋を第二の故郷としてしまおうか。思い詰めていたそんなとき、視界の隅でネオンが煌めいた。

 

『CINEMA ber』

 

頭の中でのど自慢大会のファンファーレが鳴る。これだ。私が求め続けていたのはこういう店なのだ。交差点の角にひっそりと店を構える居住まい。枯れてんだが光ってんだか分からないネオン。飾らず、気取らず、新参者の私でも入りやすく、なおかつコアな話ができそうな雰囲気……居場所候補!

 

さっそく2階のお店へ上がってみる。階段下には「映画監督のやっている店」と書かれた黒板が置かれた。この時点で一瞬足がすくむも、勇気を出して入ってみる。バーの一見さん突入とはどうして毎度こう、緊張するのか。素人感は出しつつも、あくまで「いや私こういうお店慣れているんで?」といった姿勢で入店しなければ負ける気がする。

 

さながら初めて風俗店に行ったあの日のように。決して初心者とばれてはいけない。私は経験豊富なんだ。そうじゃないと呑まれてしまう……ただし初心者ムーブは時と場合により功をなすことは、確かにある。むしろおっかなびっくりしてるほうがちやほやされるまである。なんの話だ。

 

半開きになったドアから中をうかがう。秒でマスターと目が合った。敵情視察も何もない。意を決して店に入る。

 

(……部屋かな?)

 

第一印象はバーと言うよりも、スナックとか私の部屋のようなアットホームな印象。バーなんて3軒くらいしか知らないけれど、そのどれもより友達の付き合いで行ったスナックに内装は近い。赤を基調としている(ような)デザイン。席はカウンターが5つくらい。右手に低めのテーブル席が1つあり、さらに奥には上映用なのだろう、スクリーンがつり下がっている。

 

今思えば、あの雰囲気は昔ながらの映画館に寄せていたのかもしれない。ほら、名画座とかって赤かったり黄色かったり、どこかレトロな感じがするし。

 

先客が一人いた。

 

マスターに勧められるまま、その人の2つ隣に腰掛ける。地元にいた頃もそうだったけれど、カップルとか友人同士で来るならいざ知らず、一人で来た新しい顔というのは珍しがられる。もしくは話のタネがとっくのとうに尽きているのかもしれない。とにかく話しかけられる。

 

「こんばんわ」

 

中瓶500円。アサヒを頼んだのにキリンが出てきた。お通しをつまみながら、軽い自己紹介とこのお店についてのお話。案の定、映画の話はコアだった。そりゃそうだ。30以上も年上の人たち。マスターに至っては自主映画を作るほどの筋金入り。ニワカなのはばれているかもしれないけれど、持ち合わせている自分の好きな話を最大限口にする。

 

先客の人とは気があった。アニメの話題で盛り上がる。広く浅いオタクでよかった。好きな映画の話になって少し気取ったタイトルを口にしてしまったけれど、あのときは正直に話せば良かったのかな。まあ、それは次の機会に。

 

時間はあっという間。今日は早めに閉店するらしい。たまのイベントの日はやはり奥のスクリーンで上映会をするとのこと。また来てねと言われた。

 

実家を出て1ヵ月。ホームシックになるつもりもなったつもりも一切なかったけれど、気がつけば1日中地元、千葉のラジオを流していて、家の近くや通ったことのある道路の渋滞情報に相づちを打っている。ああ、あそこが混んでいるのか。あのお店美味しいよな。これもいわゆる、懐郷病なのかしら、と。

 

初めて行き着けになりそうなお店を見つけられて、ようやくこの町の一員になれた気がした。行ってみたいお店はまだたくさんある。今にも倒れそうな老人がやっている中華屋や生姜焼きオンリーで勝負している国道沿いの店。映画に出たことがあるというラーメン屋やいつ行っても閉まっているうどん屋。ひとつひとつ白地図に色をつけていくように、ゆっくりとこの町の住人になれたら。

 

私は今夜も居場所を探す。

コリアタウン殺人事件を見た話

自分の過去の記事を参考にフォーマットを作ろうと思ったのにどう検索しても記事トップに出てこなかったみたまや書房のはてなブログ、はっじまーるよー

 

第四の壁などない

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ロサンゼルスのコリアタウンで起きた奇妙な殺人事件。事件発生当夜その一部を目撃してしまい、興味本位で事件の捜査を始めた男性だったが、死んだはずの被害者からの交信やガールフレンドの失踪など、不可解な出来事が徐々に彼を追い詰める。

 

といったいわゆるファウンドフッテージと呼ばれるジャンルの映画。知らない人に説明すると(というか私も知らなかった)たとえば本当にあった怖い話とかそういう、ドキュメンタリーのような演出をしたフィクションであるモキュメンタリーの一種。なかでも撮影者が行方不明になった結果、ビデオだけが何らかの形で発見され公開されたという設定のジャンルがファウンドフッテージ

 

だからジャンル訳するならフィクションと言い切れるのだろうけれど「信じるか信じないかはあなた次第」と舞台と客席の壁を観客に壊させるのがホラーの妙。だってほら、リング見た後テレビに布掛けて存在をなかったことにするじゃん。私なんかテレビに布掛けてガムテープで巻いた上でトラバサミ設置するまである。

現実に侵食してきそうな、あるいはノンフィクションなのではという奇妙な怖さが面白いところかと思うわけですが

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不明ってなんだよ

 

ーーー以下ネタバレありーーー

 

 

作品の最後でアマプラから視聴者へのメッセージ(という形)で

 

「投稿者の身の安全を考慮して監督や主演の情報を秘匿する。ここで得た収益は警察が行方不明者の捜索を私立探偵に依頼する資金とする」

 

とでる。

 

正直ここが一番怖かった。怖すぎてのけぞったから文章は曖昧なんだけれど、この時点で「これはフィクションじゃないですよ」という宣言が作者ではなく会社から来て「ああ、これマジか……」と戦慄する。

 

面白かったか面白くなかったかで言えば彼女が失踪するあたりまで眠そうに見ていたんですけれど。そもそもTwitterで「いやこれマジだよ!」といった情報を見たから真偽を確かめるために見ていたのですが

 

1.事件の第三者であったはずの撮影者に危険が迫って、物語の中での日常の浸食

2.創作ではなく現実 の話と分かることで視聴者の日常が浸食される

 

という二段構えで私は泣きました。多分一生ロサンゼルス行けない。

 

ただ、なぁ……

 

できすぎなんだよなぁ……いろいろと

 

霊媒師の女の人とか、物語を動かすキーになるホームレスのおっさんとか、死者との交信とか、ご都合主義でしかなくてあからさまにフィクション感がある。話の展開に筋書きが見え隠れする。

 

このままだと感想サイトなので考察サイトになったらいいなともう少し頑張る。でも考察は苦手なので好きなことをしゃべります。いいか! 情報の! 価値を売るんだよ(職業ライター並感想)

 

ノンフィクションと思わせるための処置として物語をあえて何でもない、普通なものにしたのなら効果はある。現実にそうそう劇的な展開など起こるわけもなく、湿った真綿に圧迫されていくような気持ちの悪さだけが増えていくのみ。その点では見ている人を突き放すようでいて興味を惹かせ続ける構成はハマっている。

 

一方でフィクションと思わせるなら、前述の舞台装置も適役。こんなの現実にいるわけないと思うことになる。

 

どっちがより作為的だったか

 

何かを騙る必要のある者は偽物だけと考えるなら、フィクションの皮を被っていると見るのがスムーズか

 

フィクションとして撮られたものの中に、真実が1つある。

 

幽霊も役者も合成映像のような最後の写真もドアをノックした彼女の家族の友人を騙るものも撮った覚えのない写真のほとんども死んだことにされた店長も落書きも通訳のちょっと美人な女の人もどれもこれもフィクションだとして、さらに隠すとしたら木は森の中。過剰な演出があったシーンはどこだったか。

 

そこに写っていた人は誰だったか

 

 

まあこの結論だと神父が犯人になって結局思うつぼなのですが、チラシの裏としてご容赦ください。

 

仮にフィクションと見せかけることを計算して撮っているのであれば陰謀論とかに発展するのですが、そういうことを考えて撮影しているとそれはもはやドキュメンタリーではないのでは? といろいろ考察が深まる作品だと思ったので私は今から考察サイトを巡ってきます。人の考察見る前に自分の考察を書きたかった。ただ私これが「フィクションかノンフィクションか」の話しかしてねえな。ホラー要素? びっくりポイントは1回あったけどあとはもう不気味さを堪能するだけでした。そう……私がホラー苦手じゃないのは現実じゃないと分かっているからなのだ……だからコレ系は駄目なのだ……

 

文責:日笠

(同居人には「めちゃくちゃびびってたよ」と言われた)

 

万引き家族を見た話

これは白黒つけちゃいけない話だと思った

 

忌避していたのは、格差社会がどうとか、国の汚点を美化するなとかで盛り上がっていた気がしたから

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万引き家族(2018)

お久しぶりです。生存確認です。私はここにいます。多分。

 

ステイホームの流れに乗っ取り大手を振って家にいる今日この頃。普段は雨の日くらいしか家にいることに理由を見いだせないけれど、今は罪悪感無く部屋でゴロゴロできていいですね。貢献だからね、社会への、この引きこもりは。

 

さて本筋。の前にいつものあらすじ

 

東京の真ん中にぽつんとたつあばら屋。そこに暮らす6人の人たち。樹木希林の年金に寄生して、万引きで生計を立てるいびつな家族。ある2月の寒い夜、ネグレクトを受け、ベランダに薄着で放置されていた女の子を保護したところから、彼らの運命はちょっと、それが明るいのか暗いのかは分からないけれど、でも確実に動き出す。

 

血のつながりは多分無くて、一緒にいる理由は「一緒にいるから」という些細なもの。だからそれを他人が否定することは出来なくて。そこにいる人にしか共有できない価値が確かにあったのに、だけどそれは端から見れば何もない。

 

公開当初、というか話題になってた当時はスルーしてました。なんでだろう、そもそも邦画を好んでみないからな……。それはともかく、いろいろな賛否両論の声をなんとなく聞いていて、だからこの作品は「日本の格差社会を浮き彫りにした、風刺作品」と思っていた。

 

貧富の差というより、それを前提とした無自覚な残酷さ

たぶん「世界にはこんなに貧しい人がいて、こんなに歪な世界が広がってますよ!」という話では決してなくて、「ここ以外にも社会はあって、その社会にはその人たちにしか分からない価値がある」というの方が大事だと思った。

 

きっとそれは常識的に見れば異端で、多数の意見とか、正義とかを振りかざされちゃえばすぐに脆く崩れるようなものなのだろうけれど、その中で生きる人たちにとっては全てといってもいいくらいかけがえのないもので、その価値観を奪ったり、壊したりすることは、罪じゃないかもしれないけれど、酷く残酷なことだと思う。

 

常識やルールや倫理観が、秩序を守るために作られたことっていうのは忘れてはいけない。それらは大多数の人の幸せや、一部のお金持ちの人たちの都合や、お金の流れをスムーズにするために生まれたものであって、レールから外れた人たちを守るものでは決してない。善かれと思って価値観を押しつけるのは、じゃあ、その人を殺すのと何が違うのか。

 

児童福祉施設の人が子供を保護するのは良いと思うんだ。仕事だから。だけど鬼の首を取ったように誰かを責め上げるのは違うと思うんだ。だって、もしかしたら鬼は自分だったかもしれないんだから。

 

共感性の問題として、視聴者の多くはリリーフランキーたちに感情移入して、公務員に不快感を覚える作りになっていると思う。物語もハッピーエンドとは言えなくて、どちらかと言えば消化不良を抱えて唖然とするような幕引き。この構成こそが、一番考えなくちゃいけないところなのかな、と。

 

すぱっと終わる話じゃない。白黒をつければいい話じゃない。誰が良いとか悪いとか、何が駄目だったとか、正義とか悪とかそういうことではなく。

 

今の世の中と照らし合わせるなら、「自分がどちらの立場にもなり得る可能性を忘れるな」

 

責める方にも責められる方にも、常識を破らなければ生きていけない立場にも常識を振りかざす立場にも、私たちはどちらにもなり得る。だからこそ、一時の情に任せて排他的な行動をしてはいけない。いざ自分が、それまで他でもない自分が嫌悪感を浴びせ、忌み嫌い、吐き捨ててきた側に立たされたら? そこで自分を守れるのか、それとも手のひらを返すのか、誰かに守ってもらえるのか、救いを求められるのか。

 

笑っていられるのか。そう思うわけです。

 

あなたが声を上げて火刑にしたように、いつかあなたも矢面に立たされる。今抱いた感情を忘れちゃいけない。

 

これはよその国の話じゃない。明日来るかもしれない、自分の物語だ。

 

文責:日笠

(しかし制服の松岡茉優ちゃんかわいすぎない? 通うんだが? だが?)

 

 

 

キャスト・アウェイを(1.3倍速で)見た話

視聴2分目私「なんだこの映画早送りして見たろ」

 

中盤私「テンポいいな」

 

な映画キャスト・アウェイを見ました。いまだにトムハンクスがイケメンって言われる理由は分からないですがふとした瞬間は「あぁ……2枚目……」ってなる。

 

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ロシアだろうがアメリカだろうが関係ねぇ、効率を良くし稼いだもの勝ちだぜ、という00年代時代背景なのかあからさまなビジネスマンが無人島に遭難してちょっと価値観が変わるよっていう、多分ありがちな話。マクガフィン変えただけでこの手の話は売るほどある。

 

無人島あるあるなので一緒に漂着した物をうまい具合に活用して難を超えていきます。じゃあ俺は何を語りたいか。

 

なんだろなぁ

 

●イマジナリーフレンドと極限状態

今度からバレーボールを見たらウィルソンと呼ぶとます。主人公が遭難中心の拠り所にしていた漂流物のバレーボール「ウィルソン」君。答えもしないのに語りかけては分水嶺の相談役とし、たぶんこの人の人生で一番心通わせたんじゃないかなってくらい(なお一方通行)頼りにしている。そんなウィルソン君との涙なしでは語れぬお別れのシーンが映画中盤のピーク。イカダで無人島から脱出している最中、不運にもウィルソンが海へ流れ出てしまう。トムハンクスはそれを助けに行こうとするも、時すでに遅し、ウィルソンは遥か水平線の彼方、トムハンクスは虚空を見つめながら見捨てたことを謝り続ける……

 

人の心の支えが何になるかは分からない。それはただの写真かもしれない。動かなくなった時計かもしれない。他人から見て可笑しなものさえ、当人にとってはかけがえのないものかもしれない。因みに身もふたもない話すると、前回の記事で書いた「観客からしたら愚かなことに一生懸命な姿に、観客は心を揺さぶられる」の理論でいくと、私達が「え、それに執着する??」って言うものに主人公が本気だと観客はなんだか深いお話だなぁって勘違いするよ。これ小手先な。

 

でも小手先だろうがなんだろうが、それってありかもなと人生の別側面を見つけられるのが映画なり読書なり創作物のいい面な訳です。自分以外の人生をトレースできるのが創作の強み。いわば私達は「何回も生きてる」それも倍速で、いいとこどりで。

 

●嫁が寝取られたからって責めちゃいけないよ

無人島から帰ってきた主人公。孤独な生活を支えてくれたのは、遭難前にプロポーズをした彼女の写真。さあ、君のために僕は生き延びたんだよ、あの時の答えを聞かせておくれと言わんばかりですが、悲しいことに彼女は別の家庭を築いていました。

 

これ、嫁(未遂)と再開するシーンがあるんだけどこの映画の中で一番トムハンクスの好感度が高いシーンだった。

 

そも、人との繋がりのなかでその人とそれ以上会わないのならば、思いや記憶は焼き増しされて脚色されるだろうけれど、本当の気持ちってのは最後にあったときのまま、更新されずに残ってるんだろうなって。

 

人づてに悪い噂を聞いて好感度が下がったり、焦れる思いが恋心を燃え上がらせたりとか色々あるだろうけど、それってスパイスでしかなくて、光と陰のように「会わなかった期間が再開した時の感情を加速させる」だけなんだなって。世の中カクテルパーティー効果で溢れてるんだって。人間都合のいいようにしかできてない。元から気にくわない人は陰口が耳によく届くし、なんとなく好きだった人への想いは会えない時間が愛へと変える。そういうもの。だから対面していない時間は想いのベクトルを変えることはできず、その勢いを強めるだけ。だから会えない間に別の男作って夜な夜な大運動会して子供こさえた女が四年ぶりに昔愛した男と再会して「ohダーリン」となるのもなんか憎めない。だってたぶんそれが人だから。会えない時間は想いを更新することはできないから。

でもそこを理性で帰らせるトムハンクスが偉いんだけどね

 

●最後にテクニック的な話を

トムハンクスの無人島生活を支えた漂流物たち。その中には羽の絵が描かれているものがありました。孤独な生活にくじけそうな時、希望を見失いそうな時、それらの漂流物が助けてくれた。

 

文明社会に戻ったトムハンクスは、羽が描かれた荷物を届け直しに行く。アメリカのど田舎、周りには何にもない農地の一軒家は留守で、荷物だけ置いて帰るトムハンクス。

 

その家からの帰り道、だだっ広い交差点で「次はどこに行こうか」と地図を広げながら悩んでいたトムハンクスのところに車が通りかかる。車の運転手の女性は「迷ってるの?」と道をいろいろ教えてくれる。会話が終わり、去っていく女性の車には、無人島生活を支えてくれた荷物に書いてあった羽の絵が描かれていて……

 

というふうに似たような形で物語に多重性を持たせると綺麗になるなって話でした。何が綺麗かって?

・孤独を支えてくれた荷物と女性の車に描かれていた羽の絵

・遭難という人生の分岐点と四方に伸びる交差点

・というかどこにでもいける交差点ってのが大海原にポツンと浮かぶ無人島とリンクしてるし、かたや無人島という絶望、かたやなんとなく明るい未来という希望ともとれるしどちらも希望の象徴とも言えるよね

 

そして、また助けられたのかなっていう苦笑で物語は終わるんだってさ

 

文責:日笠(羽ってフォレスト・ガンプじゃないよな)

外部記憶の発展した世界の考察【思考実験】

どうしてもSFが書きたくなって「人間の記憶がすべて外部装置に保存され管理される社会になったら」というものを考えたけど世界考証で挫折した。その時考えたことを綴る。

 

起きている間は何らかの端末を装着し、1日の終わりにそれを取り外して本体にアップロードする。端末を取り外すと眠くなるようになっているので、非装着時の記憶は確度が低いことが知られている。この場合の記憶とは、装着者が実際に見聞きしたこと、体験したこと、その時の感情などが含まれる。

 

そもそも人の記憶には主観が含まれる上、思い出すたびに補正されていくので確かとは言えない。この外部記憶の確立された世界では、人々の記憶を「正しく」「確実に」「いつまでも」保存することが目的だ。

 

さて、主観や思い込みや勘違いを排除するにはどうすれば良いか。ここではビットコインなどでよく知られるブロックチェーンの仕組みを採用する。

 

ビットコインは使用者が管理者も兼ねる。コインの使用履歴を各々が記録し、一番記録が長いもの(もしくは一番多くの人に記録されている内容?)が正しいものと採用される。コインは常に動いているので誰か1人が改竄して不正を働いても、その他の記録が正しさを保証しているので見破れる、という仕組み。

 

これを記憶の保存・証明に採用する。

 

感情は個人のものだが事象は共通のものである。この世に起きたことは多数から認識されているはずなので、物事の起承転結は保証される。そのため、記憶を個人の都合のいいように改変することは不可能。

 

歴史を証明する上でこのシステムは有能。1人にしか観測されていない事象も、その1人が最大多数であると認識して採用する。

 

また、事象の確実性はブロックチェーンによって保証されているが、いらぬバグを防ぐために思い出の振り返りは禁止、これを破る場合いわゆる「感傷罪」にあたる。まあ発端は緩衝材とかけてこれをやりたかっただけなんだけど。

 

そうなった世界でプライバシーや秘匿すべき記憶はどうするのか、発明や特許は人類の財産として共有されるのか、そもそも誰が管理するのか、副次的に発展する技術はあるか、そして「本当に機械は信頼できるのか?」という問題をやりたかったけど考えることが多くて挫折。というわけで放棄。オリジナルというか、発想のきっかけは『失われた過去と未来の犯罪(小林泰三)』な気がする。あれは記憶が数分しか保てなくなった人類の初動と、対策が打たれた後のお話。メメントみたく少しずつ行動を進める人類の様子は結構感動。

 

ちなみに「たくさんの人で同じ偽の記憶を回想することで機械を誤認識させ爆発させる」というオチまで考えた。なんだそれは。

 

やっぱSFは生半可じゃかけない

 

文責:日笠(でもいつかはやりたい)

 

ジョン・ウィック1.2でお約束を果たせ

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こ う い う の が 見 た か っ た !!!!!

 

難解な要素は一切なし。強いて挙げるなら1の序盤の駆け出しがちょっと遅い。しかしそれは全て助走! あとあとを高く飛ぶための! 助走! 無駄な要素はねぇ! この世界観に酔いしれろ! 男の子はこういうのが好きなんです! わかる! (語彙力の崩壊) もはやあらすじが面白い。主人公は愛妻愛犬スウィートホーム軒並み奪われちゃうんだけど、目には目を、不条理には不条理を! 悲しみの果てに伝説の殺し屋が帰ってきた。彼にまつわる逸話は全て控えめに語られていると思え。早く3が見たい目が治ったらね。そんな作品、ジョン・ウィック

 

あらすじは少し悲しいんだけどなぜか笑っちゃうんだよな。キングスマンみたく真面目に悪ふざけしている節がある。とにかく味方がみんないい人。「復讐なんて何もウマナイヨー」奴がいない。だってみんな殺し屋の世界に生きてるから。思えば表社会の人間ほぼいなくね? ストレスフリー。最高。見る脱法ドラッグ。劇場に観に生きたかった……

 

顧客満足度という点に関しては高いと思う。あとあらすじっていう前提条件は大切だと思った。

 

前にも書いたけど作り手と受け手の間の共通認識がしっかりしてて「これはこういうもの(話)です」という説得力をもたせられているとか、作品内での不要な説明や違和感を拭えるからいいよね。シリーズ物とか特に顕著。仮面ライダーは変身するし人が不幸になるし悲しいから仮面ライダーなんだよ。その悲しみの果てに希望があるんだよ(たまに)。ロボットものの主人公機強化とかね。そんなお約束が地盤にあるから、その上で自由に踊り狂えるわけですね。

 

私の場合ジョン・ウィックはあらすじ見てから視聴したんですけど、頭に中盤までの「お約束」が入ってるからもう楽しくて楽しくて。お約束が達成される快感ってありますよね。もうだめだ、これただの感想だ。

 

ブログを活用するうえで考えることは、最大多数の最大幸福より、マイノリティーの共感の方がやりたいなって思ってます。みんなにウケるような、たくさんの人のためになるような視点とかの提供じゃなくて(それが出来るとも思ってないけど)、私と同じこと考えてる人がいた! とこの世の誰かが思ってくれたらそれが私の書く理由なのかなって。さあお互い世界の隅っこで共鳴しようぜ。しかしこの記事のどこにその部分が?

 

・真面目さについての考察

 

例えば茶化して場を濁すような笑いの撮り方ではなく、真剣で他意がないものにこそ人の心は動かされて、そして垣間見えるお茶目さ、滲み出てくるリアルや常識との乖離に人は正の感情を抱く、らしい。お約束の話を前提とするけれど、果たして猫や犬などの愛玩動物が「分かった上であざとい動作をしているか」という話。猫はしてる。絶対してるやつら自分が可愛いって自覚あるよ。

 

脱線したけど、彼ら動物は「人よりランクの低い生き物ゆえに、自覚したあざとさがない」ということを私たちは前提に置く。その上で本来ならあり得ない人間臭さとか、常識的にはドジに当たる動作に愛らしさやおかしさを覚えるのではないかという考えを昔大学の教授がしてました。引用明記。

 

それを無理やり映画に当てはめるなら「その映画特有のお約束」があり、「その世界では真剣な行い」が「現実とは剥離してるから」面白い。そういう説明もできるよねって話。そしてことフィクションによるならば、その現実から離れた世界に没入することを人は求めているわけで。ならなおさらその世界に作り物感があってはいけない。メタってもいけない。真剣にその世界である必要がある。それが真面目にふざけるってことだよね。悪ふざけは、全力で常識を飛び越えるからこそ愛嬌がある。

 

あれこれヤンキーにも似てんな。あいつら可愛らしいもんな。

 

だからみんなも見ようジョン・ウィック

 

文責:日笠

(もはや読書感想文)

メメントを見たよ

もし何か一つ記憶を完全に消せるなら、私は恥ずかしい過去のことを忘れたいんですけど日々忘れたいと思い過ぎて今パッと浮かんでこないという大失態を晒しています。肝心な時に使えない、欲しい時に見つからない、テレビのリモコン、古い愛車、それと記憶。コラムとしてどうなの?

 

眠れない夜とかお酒飲んでダウナーになった時とかに唐突に襲いかかってくる自責の念のフラッシュバック。ほんと、お酒の過ちとか忘れたくて仕方ないんですけど、最近はお酒飲むとその瞬間から記憶がなくなるんで便利です。そろそろ病院行こう?

 

消せない過去と、逃げるとこすら許さない記憶。

 

忘れたくても忘れられない、思い出したくても思い出せない。時を経るごとに色褪せて、振り返るほどに塗り替えられていく。確かなものは何もなく、自分への慰めでしかないそれを、だけど後生大事にこれだけを頼りにと縋って行くしかなく。それはさながら暗闇の道を持ち手のないランタン一つで行く道程のようで、素手で持つ炎は身を焦がすけれど、それを捨ててしまえば暗黒に飲まれるのを待つしかない。微かな光だけを標に歩くしかなく、歩くことによって生かされているのもまた事実と。

 

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〜あらすじ〜

妻を事件で亡くした主人公。彼もまたその事件の後遺症で記憶障害に。断片的な情報と体に刻まれた刺青を頼りに、記憶できない10分を繰り返しながら彼は妻を殺した犯人を捜す。

 

頭を使う映画でした。ラスト見終わって頭の中で時系列組み立てて「お〜」となる。悲しい記憶の話。どんでん返しとかでなく、全てを見通したその先に大切なものがあると思った。

 

記憶が確かなものと、誰が決めた?

ならば、記録なら正しいか?

答えは両方ノーである。

 

記録の捏造なんて簡単で、例えば中身の見えないジャムの瓶のラベルを張り替える様に、「その物自体」が正しいとしても「それを読み解くヒント」=ラベルが違えば人は誤認する。ましてや存在が曖昧でラベルさえ存在しない記憶なんて、誰にも、それこそ自分すら正しいとは証明できない。

 

じゃあ記憶はなんのためにあるのか。

 

それは、自分を慰めるためのものでしかない。思い出は、本質的に悲しいものなんだよ。

 

縋るように、懐かしむように、噛みしめるように、頼るように、過ちを繰り返さないように、強くなるために、記憶は大切にされ、もてはやされ、捏造される。今あなたの持っている思い出が、果たして本当に寸分の狂いもなく当時を再現してると、果たして誰が証明できますか?

 

だから、大事なのは正当性でなく、本人に優しいかどうかなんだと思う。

それが、誰かにとっては優しくなかったとしても。

 

こっから演出的な話

インスリンの注射」と「刺青の針」、主人公が習慣なら覚えられるという台詞と重ねると少し意味深になるのかなぁと思った。可哀想なサミーはいなかった。

 

文責:日笠

(優しくしてくれる記憶に心当たりがないんですがそれは)